信用重んじる気風、次世代に 江戸時代から経済の中心地として栄えた北浜に、180年以上の歴史を刻む料亭「花外楼」がある。明治維新後の政府を主導した大久保利通が、野に下っていた木戸孝允と板垣退助とともに、立憲政治を導入することで合意した「大阪会議」の舞台として知られる。店の名はその際に木戸が改めたものだ。明治の要人から現代のビジネスパーソンまで、長きにわたり顧客の信頼を得る老舗が守ってきた誇りとは何か。5代目女将の徳光正子さんに聞いた。

「口で約束したら、違えないもんや」 加賀国(現在の石川県)から出てきた伊助という人物が1830年(天保元年)に「加賀伊(かがい)」という小さな料理旅館を始めました。当時、京都の伏見から淀川を下ってくる船が着くこのあたりは、船宿が数多く立ち並んでいたようです。主人が代々、伊助を名乗っていましたが、1875年(明治8年)の大阪会議の時の伊助を「花外楼の初代」と呼んでいます。私たちはそこから数えて5代目になります。初代伊助は男気のある者だったといいます。幕末の当時、桂小五郎と名乗っていた木戸孝允の定宿でした。桂はまだ若く、将来どうなるか分からない時代でした。

 ある日、新撰組の近藤勇が「桂がここに隠れているだろう」とやって来ます。その時、表で遊んでいた伊助の一人娘が「いや、そんな人、いてはらへんで」と答え、近藤は帰ったという話が伝わっています。伊助は普段から娘に言い含めておいたのです。伊助は一介の料理屋だったけれども、信頼されて維新後もごひいきを賜りました。大阪会議の場に選ばれたのも、そうしたつながりからでしょう。

歴史や思い出が詰まった場所 昨年4月に現在の本店の建物が完成しました。前の建物はできて50年近くたっていたんですが、建て替えは大きな決断でした。地盤を基礎からやり直すことになって、工期が当初より1年延びて4年かかりました。優秀な経営者なら、同じ場所に建て直すのではなく、百貨店などにテナントを出すのかもしれません。

明治8年、大阪会議で立憲政治へ道筋1875年(明治8)2月11日、大久保利通、木戸孝允、板垣退助が大阪に集まり、立憲政治の導入について協議した。政府は憲法制定と議会設立を約束する漸次(ぜんじ)立憲政体樹立の詔(みことのり)を発布し、立法諮問機関である元老院と司法機関である大審院を設置。三権分立の基礎をつくった。当時、木戸は台湾出兵に反対して下野していた。板垣は征韓論に敗れて下野し、自由民権運動を進めていた。大阪会議後に2人とも参議に復帰する。大久保は木戸の復帰で専制批判をかわすとともに、板垣の取り込みで反政府運動を分断し、政府主導で立憲政治への準備を進めた。事前交渉は井上馨と伊藤博文が仲介、五代友厚も関与して前年から行われた。

  • 山道 裕己社長
  • 徳光 正子さん
  • 橋爪 紳也所長
18.4.27
北浜ミッドタワーレジデンシャルサロンは、5月第2週目より《火曜・水曜定休》から《水曜・木曜定休》へ変更となります。ご不便をお掛けいたしますが宜しくお願い申し上げます。
18.2.27
モデルルーム公開中です。皆様のご来場をお待ちしております。